世話人久保善平先生講話(立教180年11月12日)
只今は、結構に網走大教会の11月の月次祭を参拝させて頂きまして誠に有難うございました。又、常日頃は其々のお立場でお道の御用の上にお励みを下さいまして誠にご苦労さまでございます。
お時間を頂きましたので、今私の思います所を少しくお話をさせて頂きたいと存じます。どうかよろしくお付き合いをお願いいたします。
この神殿にも掲げられておりますけれども、ご本部ではこの8月の末から来年の3月まで、後継者講習会という若い方対象の講習会が行われている最中であります。この大教会からも大勢の方がご参加下さる予定だと思います。既に受講した方、これから受ける予定の方、両方おられると思います。まだ3月まで時間もございますので、受ける予定の方が皆なんとか受ける事が出来るように、また今のところ受ける予定がなかなか立たないというような方でも、一人でも大勢、受けてもらうことができるようにどうか御丹精をいただきたい。受講した後で、「あゝ行ってよかった。」「やりくりして行っただけの値打ちがある。」と言ってくださる方が多いよう感じております。どうか、心定めが達成できますように其々のお立場の上から御丹精をいただきたいと思います。
また、9月1日には大亮様が御結婚なされるという慶び事もございました。色々と動きが出てきている昨今ではありますが、そうした動きもさることながら私はどうしても、その直前、7月の末にお見せ頂きました「かんろだいの節」というものが頭にあり、これをよくよく思案して通らせてもらう事が、今この時旬に大切な事ではないかと思っているのであります。
8月24日に据替の儀がつとめられまして、新しいかんろだいが据えられました。「かんろだいが新しくなったから。」「また、色々な動きが始まったから。」その前に起こった節が消えてしまうという事は決してありません。その節にどういう思召が込められていたのか。そこから我々は何を考えていかねばならないのか、しっかりと思案を重ね、これからのお互いの歩みに生かしていく必要があると考えるのであります。そこで今日は私なりにこの節を通して今思案をしていることを少しお話させて頂きたいと思います。
かんろだいの節がありました7月26日の夕方、ちょっと所用をするために私は教会に戻っておりました。ちょうど教会で夕づとめをつとめる直前だったと思いますが、本部から私の携帯に電話が入りました。今日本部の夕づとめ後に緊急の本部員会議が行われますから集まって下さい、という連絡でありました。一体何事か、こどもおぢばがえりも始まった日ですから、その日に集まるいう事は何か緊急の事が起こったに違いないと思いましたけれども、誰かに電話して聞く時間もなく、行けばわかると思い、そのまま何も知らずに本部員会議に向かいました。会議の中で、どういう事が起こったのかという事を知りました。会議の終了後、神殿に向かい、東礼拝場の一番前まで行き、そこで、下から二段のみになっているかんろだいの姿を目にしまして、何とも言えない気持ちになったというのが正直なところでございます。
今から17年前の6月26日、月次祭のおつとめの最中に、かんろだいが倒されるという節がありました。私はその時は、ハッピ姿で東礼拝場から教祖殿に向かう回廊で自分の子供を連れて参拝をしていたのであります。確か九下りの途中であったかと記憶をしておりますけれども、何か異様な雰囲気になりました。ところが我々は回廊に居りますから、何事が起こったのかはわかりません。おつとめが止まるという事もなかったように覚えています。しかしこの雰囲気は絶対何かあったなと思っておりますと、暫くして神殿の方から歩いてきた青年仲間からかんろだいが倒されたという話を聞きました。
この節の時は結果として、翌月に新しく据え替えられたものの、その日を迎えるまでは、倒されたかんろだいをもう一度積み直しをいたしましたから、13段のかんろだいの姿が、我々の姿から見えなくなるという事は、倒された一瞬を除いてはほぼ無かったのであります。ところが今回の節は、その倒されたかんろだいのほぞ、つなぎ目の部分が数カ所傷んでしまい、積み直しが出来ない状態になっておりましたので、据え替えが行われた8月24日までの約一ヶ月の間は、下から二段のみのかんろだいが据えられている状態が続いたのであります。7月26日から10日間はこどもおぢばがえりという大きな行事が行われており、いうなれば1年中で最も、おぢばに人がたくさん帰ってこられる時期でありました。下から二段になったかんろだいの姿。またそれが多くの人の目に触れざるをえなかったという事。そもそもかんろだいが倒されてしまったという事。私はこの三点が自分自身の中での色々考える上でのポイントになっていたように思っています。ですから今日はその辺から話をしたいと思います。
先ずかんろだいの下から二段が残ったということから考えてみたいと思います。
かんろだいが下から二段のみになってしまった。礼拝場から参拝をしても、普通に座っていればその姿を見る事が出来ない。我々が当たり前のように、本部に参拝に行けば常に目に見えていたものがなくなってしまった。当たり前が当たり前の姿でなくなってしまった。という事は、私にとってはある意味衝撃的でもありました。
おふでさきにのなかで
このやしきかんろふだいをすへるのハ
にんけんはじめかけたしよこふ
にんけんをはじめかけたるしよこふに
かんろふたいをすゑてをくぞや
それゆへにかんろふたいをはじめたわ
ほんもとなるのところなるのや
と、お教えを頂きますように、かんろだいとは親神様が人間をお創め下さった元のぢばにその証拠としてお据え下さる台でありまして、我々お道を信仰する者のいわば礼拝の目標となっている物であります。この事は私達もよく承知をしていることだと思います。
ところがよくよく考えてみますと、ぢばの一点に今のように木製ではありますけれども13段のかんろだいが据えられるようになったのは、昭和9年、今の南礼拝場の新築や神殿の改修が行われた、いわゆる昭和普請の完成の時からであります。明治8年、教祖がここが人間宿し込みの元のぢばであるという、ぢば定めを行って下されて後、同じ年にこかん様の身上のお願いづとめに際して、それ以前に飯降伊蔵先生が造られた、かんろだいの雛形というものが据えられたという事に始まりまして、しばらく年を経た明治14年春から、かんろだいの石普請が進められることになりました。同じ年の秋には、二段まで出来ていたという事でありますが、突然その普請を務める石工さんが居なくなってしまいまして、普請は頓挫をしてしまいます。更にはその翌年、明治15年になって警察によって、その二段のかんろだいすら取り払われ、没収されてしまうという状況になってしまったのであります。その後しばらく、そのぢばには小石が積まれるようになったようであります。
教祖伝を紐解いてみますと、「人々は綺麗に洗い浄めた小石を持って来ては、積んである石の一つを頂いて戻り、痛む所、悩む所をさすって、数々の珍しい守護を頂いた。」というように記されております。
私が会長をつとめております教会の古くからの信者さんの家に行った時に、家に祭ってある親神様のお社の横に、巾着袋に入った石が入っているのを見たことがあります。「この石は何ですか。」と聞くと、「ちゃんと伝わってはいないのですが、どうも大事なものらしいです。」と家の方が仰っておられまして、「ちょっと見せて貰えますか。」と云いますと、その袋の中には石が一つ二つ入っておりました。きっとぢばの所に積まれていた石を当時参拝に行かれたその家の信仰を始められたぐらいの方が、どこか悩むところがあって頂いて帰られたのか、お守りのような感じで頂かれたのか分かりませんが、この教祖伝の記述にあるような当時の様子の一つの証拠なのかなと思ったことがあるのであります。
小石が積まれていた時代を経まして、今度は明治21年、板張り二段のかんろだいが据えられる事になりました。その状態で昭和9年、先ほど申しました、いわゆる昭和普請の時を迎えていたようであります。
昭和9年と申しますと立教で申せば九十七年になります。今年は立教一八〇年という事でありますから、よく考えてみると立教から半分以上はかんろだいというものは、今のような形で据えられていなかったのであります。
私達は、おぢばには、かんろだいが必ず据えられている。据えられていて当たり前だと思っていた気がいたします。それが当たり前の姿だと思っていたように思うのです。でもよくよく考えると、実は今のような当たり前が、当たり前のようになっている姿というのは、立教から数えても実は半分にも満ちていない、90年そこそこの話であるという事に気が付いたのであります。
また、それだけではありません。ぢば、かんろだいを囲んでつとめられる、かぐらづとめも、今でこそ当たり前のように、つとめさせて頂いておりますが、今のようにつとめられる事が出来なかった時代も相当に長かったのであります。
更には、おふでさきや、おさしづや、みかぐらうた、「三原典」と申しております教祖が直々お残し下さったものも、全てを揃えて自由に見る、自由に学ぶという事が出来なかった時代もかなり長かったのであります。
しかしながら、私達の先輩達、先人達は、今のような十分な姿ではなくても、その時代、その時代において、それぞれが親神様の御教えを信じ、そしてこの道を通って今の我々に道を繋いでくれたのであります。そんな事を考えますと、二段になったかんろだいの姿を見て、こういう言い方が適当かどうか分りませんけれども、私は必要以上に嘆き悲しむことはないと思いました。それよりも、親神様、教祖のお導き、また先人、先輩たちの一生懸命な通り方のお陰で私達の今があるんだ、ということにもっともっと感謝をして通らしてもらわなければならない、必死になって一生懸命に通ってくれた方々に負けないようにもっと自ら御教えを求めて通らしてもらわなきゃならないというように感じたのであります。
そして、この世の中に、あって当たり前のものなど無く、普段の姿、当たり前に我々が目にしているその姿を、また、物事が普通にある、当たり前に存在する、毎日毎日の親神様のお働きやご守護をもっともっと喜んで通れ、ということを教えられているようにも感じたのであります。
更にはおふでさきに、
このみちハどふゆう事にをもうかな
月日ざんねんいちじよの事
このざねんなにの事やとをもうかな
かんろふ大が一のざんねん
このざねん一寸の事でハないほどに
どんなかやしを月日するやら
というおうたがございます。私はこの一連のお歌が、かんろだいが取り払われたことを、親神様が残念に、教祖が残念に思っておられる、そういう意味のお歌ということは知識として理解をしていた様に思います。が、果たしてこれを自分の事として、我が事として考えることが出来ていたかどうか。こんなことが歴史上あったんだというような、単なる明治時代の昔話、単なる歴史の話、お道の歴史の話としか理解していなかったような気がしたのであります。それは今紹介をしたお歌に限ったことではなく、おふでさき全般、あるいは教祖のお話全般についても、そんな気がしたのであります。おふでさきは勿論のこと、教祖が教えてくださった事柄は、ただの昔話ではありません。全て今の私達にも通ずる話であり、道を通るお互いであるなら、本来自分の事として見て、聞いて、感じて学ばねばならない話だと思います。なのに、つい今の自分とは距離のあるものとして、軽いといいますか、人ごとといいますか、そうした読み方、見方、聞き方をしてしまっていることはないかと反省をしたのであります。
次に、7月26日から8月の24日まで二段のかんろだいが、こどもおぢばがえりに帰参をされた方々をはじめ、大変多くの人の目にふれざるをえなかった、ということについて考えてみたいと思います。
節が起こった翌日、7月27日の早朝、私に、「先生、うちの教会の団体が今、バスでおぢばに向かって走ってるんです。毎年バスの中でおぢばの説明や、かんろだいの説明をしているんですけど、帰ってきたらかんろだいがありません。どう説明したらいいですか?」と聞いてきた若い人がありました。
今回の出来事がどういうふうに感じられるのかなということを考えた時に、何かせめて自分の関わる所に対してだけでも、早く何か言わないと、というようなことを感じました。また、今の世の中はスマートホンやインターネット等、色んな情報が出回る時代であります。あること無いこと色々出回って、それが人から人へとすぐに伝わってしまいます。私は、おぢばで天理教校という学校であったり、学校法人の教校学園という所に関わってご用をしておりますので、そこに勤める人や、あるいは学生や生徒に色んな情報が出回りまして、何か変な不安を与えるのもどうかな、と思いましたので、27日の日にそれぞれの職員さん集まれるだけを集めまして、その日の自分の思っていることを話をさせてもらったのであります。
今回の節を、自分にお見せいただいたこと、自分の事として考えるということが大切やと思う、というような意味の話をその時はしたように覚えているのであります。するとその後、「先生、今回のこの節を、自分の教会のお社がいたずらされたというように思って考えてみてもええんですか?」と天理教校の若い職員さんが尋ねてくれました。私はそれを聞いて、大変良いヒントをもらったような気がしたのであります。先ほども申しましたように、かんろだいは、元のぢばに据えられている台であります。そのぢばは、親神様がお鎮まりくださるところであり、かんろだいは私達の礼拝の目標であります。我々がおぢばに親神様の元に参拝に行けば、ぢば、かんろだいに向かって拝をするのであります。願いをするのであります。御礼を申し上げるのであります。これはこの道を信仰する全ての人に共通する行いだと私は思います。おぢばへ帰り、皆、ぢばかんろだいを拝するのであります。
教会で参拝をする時も、教会の神殿から親神様のお社を通して私は皆、ぢばかんろだいを拝していると思っているのであります。その皆の信仰が向かうべき、かんろだいに見せられた節であるならば、これはやはり皆、道に繋がるものに見せられた節と考えるべきではないかというように思ったのであります。そうしたことが皆に分るように、お前たちみんなでしっかり考えてくれ、とお示しくだされた節ではないかと思ったのであります。
もしかしたら、17年前の節にも同じように親神様はその節を通して何かを発信してくださったのかもしれません。それでも今ひとつ、私達がうまく、その親神様の思召を受け止めることができていなかったからなのか、このままではいけないと、前回と同じ26日に同じような節をお見せくだされて、また今度は前回とは違って積みなおすことが出来ないようにお見せくだされ、皆の目に触れざるをえないようにしてくださったのではないかというように思ったのであります。そこで、とにかく皆に伝えて考えてもらう、意識してもらう、ということも大切じゃないかというように思いまして、8月の私が会長をしております教会の月次祭ではそうした話をさしてもらいました。また8月に自分が出向いた講社祭でも出来る限り、そうした節に触れて話をさせてもらったのであります。
例えば、教会のお社がいたずらされたら、「どういうことかな。何を神様は見せてくれたのかな。」というふうに考えるだろうし、また、自分の家にお祀りしているお社や、あるいは神棚が何かの理由で傷ついたら、「何か悪いことしたのかな。」とか、「何か自分らに教えてくれることがあるのではないかな。」と考えるでしょ。それと同じように今回の節、かんろだいが倒されてしまったということを自分のこととして、考えてみてもらえたら有難いな、という話をさせてもらったつもりであります。
また、これは自分の不徳のいたす限りの話なんですけれども、なかなか普段教会で、あるいは講社祭で信者さんにかんろだいの話をするということはありませんでした。かんろだいについては、おぢばに帰って、これはこういう意味なんですよ、と言って説明をさせてもらうことはあっても、月次祭や講社祭で、改めて説明することが自分には無かったので、こうした機会を与えて頂くことができるというのも有難い、お陰でそうした話も出来たな、というように、自分自身ではちょっと喜びも感じていたのであります。
そしてもう一点、今度はかんろだいが倒されてしまった、倒れたということから思案をしたのであります。
かんろだいは、我々の信仰の芯ともいうべき柱であります。その芯が倒れてしまった、立っているものが倒れるということは、どういうことなのかと思案を巡らせた時、ふと思いついたのは、倒れることは支えが無かった、ということではないかということでした。ものが倒れそうな時に、何か横に支えとなるものがあれば倒れることはないように思います。しかも、その支えとなるものが一方だけではなく、四方八方にあれば余計に倒れることは可能性として少なくなっていくように思ったのであります。支えとなるものが四方八方にあるなら、立っているものの周囲に密集してあるなら、より頑丈にしっかり立ち続けることができるはずであります。でもそれが無かったから倒れた、ということでないかと思ったのであります。では、かんろだいに支えがある、支えがない、というのはどういうことなのか。私はそれは、我々一人ひとり、この道を通っている者の信仰姿勢というものではないかと思ったのであります。
今ひとつ、親神様、教祖の思召に添いきれていない。今一歩、親神様、教祖に近づききれていない、真柱様の思いに添いきれていない。そんなお互いではないか、ということを考え直してみなければならないと思いました。皆一生懸命やっている思います。自分なりに神様の思いを求めて、一生懸命つとめているつもりだと思います。しかしながら、ついつい長い間の習慣もあり、また色んな事情といいますか、都合の中で、「私のやれることはここまでだ、これ以外のことは他の誰か、例えば本部であったり、上級であったり、あるいは部内の方であったり、これは自分以外の人がやることだ。」というように何か線を引いてしまったり、「自分は一生懸命毎日神様のことをやってる。もう今の自分の中でこれ以上は難しい。」というように思い込み、線を引いてしまって、親神様や教祖が、もっと近づいてきていいんだよ、もうちょっと頑張ってくれたら嬉しいんだと仰っている声を、自分からシャットアウトしたり、聞き逃してしまっているようなことはないかと思ったのであります。
親神様、教祖と私たち人間の間に隙間を作ることができるだけないように、もっともっと私たちから近づいていくことが大事ではないかと思いました。
そのために、今お互いが立っている信仰の立ち位置から、一歩でも二歩でも神様の方にに近づいてく努力を重ねることが大切だと思います。
それぞれの持ち場立場というものは同じではありませんから、必ずしも皆が皆、同じ事をやらねばならない、ということではなくてもいいと思うのです。今の自分のご用の勤め方、今の自分の道の通り方、これがはたして親神様、教祖にお喜び頂けるものなのか、じゅうぶんなものなのかということを、それぞれがしっかりと振り返って、今より一歩でも二歩でも自分から神様に近づいていく、神様を支えれる距離まで自分から近寄っていく、そういう努力を積み重ねることが大事なのではないかと思うのです。
それは色んなことが考えられると思います。簡単なことから言えば、例えば神殿に足を運んだ時に、前の方まで神様のところまで近づいて参拝すればいいのに、つい一番後ろに座ってしまう、そんな自分はないだろうか、もっと近寄ってもよいのではないか、これだけでも私は近づく努力になる気がいたします。
ひのきしんをしている時に、もうちょっと、あとひとつだけ用事させてもらおう、あと5分だけ用事させてもらおうと、ひのきしんの時間を増やすということも出来るかもしれません。にをいがけに行った時に、ここでやめようというのを、もう一軒だけ回らせてもらおう、もう一枚だけチラシ配らしてもらおう、ということでもいいのかもわかりません。
教会長さんの家族であるならば、上級の教会へ足を運ぶ回数を、もうちょっと増やしていこうとか、信者さんの家庭であるならば、所属する教会への参拝を、もう一回でも二回でも増やすという事でも、これまた神様に近づいていく努力のような気がするのであります。
私たちこの道を通っているお互いであるならば、皆普段からやっているひのきしんであり、にをいがけであり、教会へ足を運ぶ事だと思うのです。やっている事ということは、その大切さもわかっているはずなのでありますが、いつの間にか自分で、今の自分のやり方でいいんだ、これで十分なんだ。と思ってしまっていることがけっこうあるというように思うのです。でも、これでいいんだ、これで自分にとって十分なんだ、と思っているのは、我々が思っているだけで、神様の目から見たら、もしかしたら、まだまだ足りていない、もうちょっと寄って来てほしいと思って下さっていることも多いように思うのであります。そういう上からも、もう一歩でも二歩でも神様の思いに近づける、神様の元に近づけるお互いでありたいなと思います。
また我々の日常の中では、こんなこともあるように思うのです。「神様の御用で、こんな事をさせてもらいたい、こんな事が出来たらいいな。でも今はこういう理由があるからとてもじゃないけど出来ないな。」と。そんな時に、出来ないからやめておこうと思うのか、出来ないけれども、せめてこれぐらいの事はさせてもらおうと思うのか、どっちの道も選ぶことができるように思うのです。その時に、ここまでさせてもらいたいけど今は出来ないから、せめてこれぐらいまで頑張らせてもらおう、と思ってなんとか実行させてもらう。出来ないからやめておこうではなく、やれるところまでさせてもらおう、と思う事も大事と思うのです。ただ、気を付けなければならないのは、最初にさせてもらいたいことがあって、出来ないから出来るくらいをということになっているのであって、いずれはさせてもらいたいと思う最初の気持ちを大事に持っておかないと、せめてこれぐらいはの、これが、いつの間にか最初の目標とすり替わってしまって、これやっているからもういいんだというふうになってしまう事も有りがちだとも思いますから、そこは気を付けないといけないと思ったのであります。
先ほど、17年前にも同様の節があったという事をお話しいたしました。その節の直後に真柱様はこのようにお話を下さったのであります。「かんろだいは人間宿し込みの証拠として据えられるもので、ぢばの標識であり、私たちの信仰の芯であります。(中略)これは、ぢばに対する私たちの信仰の姿勢を正すことが大切であると悟らせて頂いたのであります。(中略)ぢばに対する姿勢ということは、親神様、教祖に対する信仰姿勢を問われているということなのであります。(中略)親神様一条、教祖一条になるためには、自分を教えに合わせることであります。自分の心を思召にふさわしい心になるようにと勤めて、そして一信仰者として、どの立場の者も、端から見て成る程と言われるようになるということが、まず大切なことであるということを、よく考えて頂きたいと思います。」
私たちこの道を歩むお互いが、教祖がお教え下さった親神様の御教えを、御教え通りに歩ませてもらい、親神様がお望みくださる「陽気ぐらし」、その世界を造っていく。そこに向かってたとえ一歩ずつであっても、着々と前進をして行きたいと思っているお互いだと思います。そのために私たちの信仰の根本を、もう一度しっかりと一人ひとりが見つめ直し、長い間の習慣などから、もし教えそのものから、ずれてきているということがあるならば、しっかりと正していかなければならないと思うのです。
逸話編「人がめどか」というお話の中に、教祖が梅谷四郎兵衛先生にお話し下されたことが載っております。「四郎兵衛さん、人がめどか、神がめどか。神さんめどやで。」私たちの信仰が知らない間に、人がめどの信仰になっていないでしょうか。神様の御用をつとめているつもりなのに、いつの間にか人のことばかり考え、或はいつの間にか周囲の目や評価ばかりを気にしてしまい、肝心の親神様、教祖にお喜び頂く、神様の御用をつとめる、御教えを実践するということが、二番目、三番目になってしまっている、ということがないかと考えた時、私自身にもやはり反省するところがあるのであります。
また逸話編の「天の定規」というお話では、飯降伊蔵先生に、「世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規に当てたら、皆、狂いがありますのやで。」とお話し下されたことが載っているのであります。
私たちがどれだけ正しいと思っていても、神様の目から見れば違っていることや、反れていることもあるのであります。しかし、つい自分が一生懸命であればある時ほど、また神様の御用をさせてもらっているという意識があればある時程、我々は天の定規と、自分の定規の区別がつきにくくなってしまっていることがあるように思うのです。自分が正しい、自分は間違っていない、これだけ一生懸命やっているんだからと、自分を顧みることを忘れてしまっている事があるように思います。私自身もそんな事があるとやはり思います。自分の定規ではなく、親神様、教祖の御教えという定規に、自分の思案や行動が合っているのかを見つめ直し、改める事があれば、改めて努力をしていく、ということが今求められているような気がいたします。
世界一列をたすけるために天下ってくださった親神様の御教えを、御教え通りに実行すれば、何の間違いもなく、必ず結構に連れて通って下さるはずであります。このことをしっかり我々は胸に治めなければならないと思うのです。たすけてやろうという親心から、こうしたら助かると教えて下さったのが、この教えだと思います。ですから、たすけてやろうという神様の御心に、「わかりました、その通りにやってみます。」と言って素直に正直に実行すれば、きっと結構に導いて下さるはずであります。
しかしながら我々は、つい自分の思案から、「わかりました。でもそう言われますけど、本当にそれで大丈夫なのですか。」という心が、つい沸いてしまい、実行することをためらってしまったり、また、「でもそう言われるけど、それだけではなにか不十分なんじゃないかな。」と思って、勝手に余計なことを付け加えたり、或は、「そう言われますけど、そんなの私には出来までせん。」と言って大事なことを省いてちょっとだけでやったつもりになってしまったり、と神様の教えを実行しなかったり、余計なものを足したり引いたりするから、結構に導いて下さるはずのところが、結構にならなくなってしまっている、ということもあるというように思ったのであります。
今年の春の大祭で、真柱様は、「世界一れつの陽気ぐらしの実現は、なお未来のことですが、その大きな目標に向かって、教会に関わるみんなが心を合わせ、一歩一歩、歩みを進めるなかで、足元から陽気ぐらしの輪が広がっていくのであります。」とお話し下さいました。
「陽気ぐらし」とひと口で言いますけれども、陽気ぐらしの世界が実現するとなると、それは世界中の人たちが皆その気になって日々を送るということでありますから、はるか先にある目標といいますか、はるか先になってやっと出来るかどうか、というような遠い先の話のように思うのであります。でもそう思ってしまいますと、我々が今頑張ってもなあ、という気持ちになってしまったりして、なにか神様の教えを実行して陽気ぐらしに向かって歩む足取りを止めてしまったり、なにか弱い気持ちにもなってしまいそうな気がいたします。でも、先になったら出来るということは、我々がちゃんと続けていったら出来るということだとも思うのです。我々が陽気ぐらしに向かうその歩みを途中で止めてしまえば、我々の次の人には絶対伝わっていかない訳ですから、陽気ぐらしへの歩みというのは止まってしまうと思うのです。世界中の人たちの陽気ぐらしというものが、はるか先にあるものだからこそ、我々は一生懸命今のうちに通って、この陽気ぐらしの教えを先へ先へ、人へ人へと繋げていかなければならないと思います。陽気ぐらしへの歩みが着実に進んでいくかどうかということは、この道を通るお互いが、教えを素直に信じて、こつこつと実行していくということ、続けていくことに懸かっていると思うのです。なにか特別なことをするというよりも、自分が今出来ていないところを素直に見つめ、出来ていないところが出来るように努力をする。いろんな状況の中にあっても、教えを教え通りに実行する努力を重ねるということ、私はそれが一番大事なことのように思います。
明治15年、二段まで出来ていた石造りのかんろだいが取り払われるという節があって、それ以降、私は、明治20年正月26日まで、教祖はそれまで以上につとめの実行をはじめとして、神一条の心でこの道を歩むということが大事なんだということを人々にお急き込み下さったように感じているのであります。今の私たちも、教祖がお教えて下さった親神様の御教えを規範とした思案や行動が出来るように、神一条の心へと、自らの心を整えていかねばならないような気がいたします。なにかそれを求められているのが今ではないかと思うのであります。
去る10月26日の秋の大祭のお言葉で真柱様は、今年が二代真柱様がお出直しになられてから50年になるということに触れられた上で、このようにお話しを下さいました。「二代真柱様の偉大な業績を称え、遺徳をお偲びするだけでなく、何よりもその公刊を心にかけられ、自らも深く究められたおふでさきをはじめとする原典にいっそう親しみ、さらには教祖にお教えいただいた通りの信仰を目指す復元の精神を忘れず、教典を日々の生活に生かし、教えに即した通り方、教会のあり方を心がけるとともに、教祖伝をひながたをたどる拠り所として歩むことをお誓いしたいと思います。」ということでありました。
今私たちが、なさねばならんことは、ここにあるような気がいたします。原典にしっかり親しむということ。教えを教え通りに実行するということ。教えに則った毎日を送るということ。しっかりひながたを辿らせてもらうということ。皆これは大切だと思っていることだと思いますが、思っていることが、思っているように出来ているかどうか。一歩でも二歩でも、もっともっと神様に、まだまだ近づく余地が残されているのではないかということ。自分の心や、自分の毎日を振り返って、これからの毎日の暮らしの中で、自ら道を求め、一歩でも二歩でも神様の思いに近づき、教えを教え通りに実行出来るように心掛けて通らせていただきたい。
私はそれこそが、今この旬に、この今回の節を生かすことにもなり、親神様、教祖にご安心いただくことに繋がっていくのではないかと考えているのであります。どうか共々にしっかり思案をして自らの心を振り返って、勇んでこの道を通らせていただきたいということをお願い申しまして、私の本日の勤めとかえさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。