大教会長様講話(立教189年2月号)

 昨年は年祭活動3年目仕上げの年にあたり、お道の上にまた大教会の上に、様々な形で精一杯、力一杯の大きなご尽力を賜りましこと、心より御礼申し上げます。

 昨年一年は諭達の実働10万件と大教会活動目標を掲げ、網走大教会に繫がる部内教会長さんが先頭に立ち、ようぼく・信者の皆様が一丸となり、心定めの10万件を目指し勇んで勤めて参りました。この活動も昨日の11日をもって終わりましたが、その結果なんと10万件をはるかに超え30万件近くにまで到達させて頂きました。三年間人の御守護に力を入れるなか、仕上げの年の昨年この伏せ込みが理づくりとなり、心定め達成とはいきませんでしたが、初席者26名、ようぼく13名、修養科修了者21名、教人4名の人の御守護を頂戴しました。

 修養科修了者に関しては、心定め18名を3名超える21名の大きな大きな御守護を親神様より頂戴することができました。これもひとえに親神様、おやさまのお導きはもとより、役員会、准役員会を中心に部内教会長の皆様の度重なる声かけと、我が事を後回しに丹精に精一杯力を入れて下さったお陰であります。また、丹精により一層力を入れて下さった教会の中には、更なる人の御守護を頂かれた所も多々ありました。昨年一年、本当にご苦労様でした。

 さていよいよ年が明け、1月26 日に教祖140年祭を迎えることとなりましたが、おやさまがお姿をお隠しになられた当時を少し振り返りたいと思います。

 今より140年前の1月1日、陰暦にすると12月8日、おやさまがお風呂場から出られた時、ふとよろめかれ、その時に「これは、世界の動くしるしや」と仰せられました。そして1月4日にはおやさまの身上が急に迫って来て、冷たくなってしまわれました。そこにいた一同は、当時の警察が圧迫していたとはいえ、以前より何度もお急き込みなっていたおつとめをしていなかったのが原因だと気づき、5日より警官に見つからないよう夜中ひそかに、連日毎夜おつとめを勤めたのでした。そのためかおやさまの身上は少し持ち直されました。

 そしてその場に居た先生達は8日夜に相談を始め、この時は9日の朝5時まで徹夜でねりあいをされました。その後おやさまの身上を通して、何度もねりあいを朝方までされましたがとにかく親神様はおつとめをするようにと厳しく迫られます。おつとめをすれば、警察がおやさまを拘留してしまう。周りの先生方はこのような状態でおやさまが警察に拘留されれば、間違いなく命を失ってしまうと思われていたのではないでしょうか。こういう状況でありますので親神様が求める姿のおつとめはなかなか出来ずにいました。

 そしてこのようなことを繰り返し、1月26日いよいよおやさまの身上が大変厳しい状況になったとき、初代真柱様の眞之亮様から警察に連れていかれることになるから、命捨ててもという心の者のみおつとめをするようにと言い渡されました。それから覚悟を決めた先生方は昼の1時頃から鳴り物を入れて堂々とおつとめをされました。この日参拝人は数千人になり、信者が次々と数を増し竹で造られた結界は、粉々になったとのことです。不思議にもこのような状況であったのに警官は一人も来ないという驚くべき奇跡が起こりました。

 おつとめを終えた先生達はこれでおやさまは必ず元気になられると思い、意気揚々と引き揚げてきましたが、それに反しおやさまは午後2時頃、眠るが如くお姿を隠されました。御年90歳であります。

 当時おそばに仕えていた先生方を始めその場に居合わせた信者一同は、大地が砕け、太陽や月の光もなくなりこの世が真っ暗になったように感じたそうです。

 しかし親神様のお言葉を取り次いで下さっておられた飯降伊蔵先生を通されて神様の思いを聞かせて頂いた一同は、おやさまは死んだのではなく、何十年何百年経っても、未来永劫存命のままおぢばの教祖殿に留まり、そこを拠点に世界たすけに奔走して下さり、我々が心の成人をするように見守りお導き下さっているということを知りました。

 そしてお仕えしていた先生方や信者一同はお姿を隠されてから、より一層人たすけに励まれ、その度に奇跡的な不思議なたすかりがあちらこちらで起こり、おやさまは姿を隠されただけで今も間違いなく御存命でお働き下されいるんだと確信し、勇みに勇んでおたすけに廻られた結果、現在世界中に一万四千カ所以上の天理教の教会が設立され、おやさまがおたすけに来て下さるたすけの場という姿になっているのです。

 おやさまがお姿を隠されてから140年後の現在は、どこでおつとめをしていても警察に捕まることはありません。命を懸けておつとめをするという状況にもありません。こんなに有難いことはないのです。

 今月の26日に参拝される部内教会長さん方を始め信者の皆様には教祖伝の第10章をせめて一度は拝読しておやさま140年祭を参拝して頂きたいのであります。

 また当日おぢばに参拝できない信者さん方は、土地ところの各教会より、やはり教祖伝第10章を拝読して遥拝をさせて頂きましょう。

 さて世の中の状況といえば、身近な所では、一昨年の8月頃より令和の米騒動が始まり、いまだに米が高値であったり、全体として物価高で苦しんでおられる方々も大勢おられます。世界に目を向ければ、日本も含めこれまでに経験したことのないような気候変動や、あちらこちらで命を奪い合う紛争が起こり、諭達第4号にある「世の中には、他者への思いやりを欠いた自己主張や、刹那的行動(一時的、今さえよくば)があふれ、人々は、己が力を過信し、我が身思案に流れ、心の闇路にさまよっている。」とお示し下さるように、大変深刻な状況になっています。

 やはりこういう苦しい時、大変な時だからこそ、世界中の人々のふるさとであるおぢば、すべての人間の親がおられるおやさとおぢばへ帰ることが大切になります。

 おぢばがえりに関して当時おやさまのもとへ運ばれていた先生方の事を振り返りたいと思います。

 増井りん先生は1月におぢば帰りをされました。その日は朝から大雪で吹雪いていたそうです。そして道中に幅が90㎝位しかない、欄干のない橋までやってきました。

 90㎝といえば、皆さんが今座っている畳の縦の寸法になります。そんな幅しかない橋ですから危ないと思い、裸足になり這って進みました。

 橋の中間まで来た時に吹雪が一時ドッと来て何度も川に落ちそうになりましたが、その度に蟻のように這いつくばり、「なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと」と唱えて、夕方命がけの思いでおぢばまで帰ってきました。その間、おやさまは窓の外遠くを眺められ、「まあまあ、こんな日にも人が来る。なんと誠の人やなあ。ああ、難儀やろうな。」と仰られていたそうです。

 そしておやさまは凍えて自由を失ってしまった手を温かい手で握られ「ようこそ帰って来たなあ。親神が手を引いて連れて帰ったのやで。あちらにもこちらにも滑って、難儀やったなあ。その中にて喜んでいたなあ。さあさあ親神が十分十分受け取るで。どんな事も皆受け取る。守護するで。楽しめ、楽しめ、楽しめ。」と仰られました。

 りん先生はちょうど、火鉢の上に手をあてたような温かみを感じ、胸が一杯になったそうです。

 また河内の国(現在の大阪周辺)山田長造先生は数年間床に伏していましたが、おやさまの存在を知り病床の中で湯呑に水を入れ、一心に念じて飲むと気分がよくなり、続けるうちに数日で起きられるようになりました。

 この不思議なことに感激した長造先生は、おやさまに御礼申し上げたいと2本の松葉杖をつきながら50㎞はあるであろう道のりを出発しました。ところが4㎞程歩くと杖は1本で歩けるようになり、更におぢばへ近づくと残りの1本もいらないようになりました。

 そして、途中まで付いてきてくれた弟をかえして、一人でおぢばに着くと、お屋敷にいた先生があんたは、河内から来られたのやろう。おやさまが朝から「今日は、河内から訪ねて来る人があるで」と仰られていたが、あんたのことやなあと話されたそうです。

 長造先生は本当に生神様がおられる所なんだと感激されました。その後1週間おぢばに滞在しすっきり御守護を頂き、元気に河内へ帰っていかれました。

 更に、立花善吉先生は大阪から50㎞近くある道のりを歩いて帰ってきました。おぢばが近づくにつれ元気が出てきて、歩きながら得意の浄瑠璃(日本の伝統的な音楽)を歌いながら歩いていましたが、おぢばに近づくにつれその歌もやめて間もなく到着しました。そしておやさまへ挨拶に伺うと「善吉さん、良い声やったな。おまえさんが帰って来るので、ちゃんとお茶が沸かしてあるで。」と仰せになられました。

 立花先生はおやまさは見抜き見通しで鳥肌がたつと共に有難いやら嬉しいやらで感激し言葉も出なかったそうです。

 また出産間近の山中こいそ先生が、おやさまへ挨拶に伺うと「今度はためしやから、お産しておぢばへ帰る時は、大豆越(こいそ先生の実家)へもどこへも、道寄りせずに、ここへ直ぐ来るのや。ここがほんとの親里やで。」とお聞かせ下されました。それから程なく、こいそさんは午前8時頃急に産気づき、家の人達が誰もおられず、どうしようもなかったので自分の前掛けを外して下に敷きお産をしました。不思議にもびっくりするような安産で、昼に家の人達が帰って来た頃には、赤ちゃんに産着を着せ寝かせていたそうです。そして出産から2日後に、おやさまのお言葉通りどこにも寄り道せずに真っすぐおぢばへ帰らせて頂きました。

 今では想像もつきませんが、出産後2日でこの時10㎞以上歩いて帰ってきたそうですが、不思議にも全くいつも通りの状態だったそうです。おやさまは「もう、こいそはん来る時分やなあ。」とお待ち下され、着いた時には大変お喜び下され赤ちゃんに名前を付けてくれたそうです。

 只今、先人の話をいくつか挙げさせて頂きましたが、皆さんがおぢばがえりをされるのをおやさまは、今か今かと待っておられます。1月26日の当日におぢばがえりをされる方は年祭の日には喜び一杯の心で、おやさまに三年間のお礼をさせて頂きましょう。

 また北海道の方は特に、気候など時期の関係上おぢばがえりは難しいという方もおられるかもしれません。真柱様は昨年の秋季大祭ご挨拶にて「年祭の当日、おぢばへ帰ってきても、来なくても、その日をうれしい心で迎えることができるように」とのお言葉を下さいました。

 1月26日におぢばへ帰らせて頂くことが一番よいのですが、どうしてもお帰り頂けない方も大勢おられると思いますので、本年の大教会活動目標は「全ようぼくおぢばがえり」と掲げさせて頂き、網走に繫がるようぼく810名の皆様におぢばがえりをして頂こうと心定めをさせて頂きました。

 年祭の日にどうしてもおぢばへお帰り頂けない方は、1月26日より12月31日の間におぢばがえりをさせて頂き、甘露台にお礼参拝し御本部の教祖殿へ足を運び、おやさまに改めて御礼をさせて頂き、詰所へ戻りようぼく帰参台帳に記帳させて頂きましょう。

 帰参台帳への記帳は、ようぼく一人につき1回限りになりますが、年祭の年、ようぼくの皆さんだけではなく、別席運び中の方は一日も早くようぼくになり、何度もおぢばがえりをさせて頂きましょう。

 皆さんがおぢばがえりをさせて頂くと必ずおやさまはお喜び下さいます。皆さんがおぢばがえりをする度に必ずおやさまはご安心下さいます。

 本年は網走大教会が一丸となりおぢばがえりに力を入れさせて頂きましょう。