大教会長様講話(立教185年2月号)
♦かしもの・かりものの理、心のほこり♦
おふでさきのお歌に
たいないゑやどしこむのも月日なり むまれだすのも月日せわどり (六―131)
とありますが、例えば、妊娠するというのも何月の何日に妊娠しようと思ってもそう簡単 に出来るものではありません。 出産においても出産予定日が決まっているからといって、予定日に生まれてくるとは限りません。やはり人間ははじめから親神様の御守護によってこの世に生を受け、生まれ出すのであります。これはほんの一例ですが、我々人間の力には限界があり、どうにもならないことがたくさんあります。しかし、かしもの、かりもののお話を世間の人々に納得してもらおうと思ったら、なかなかこれは難しいのです。特に若い方はそうですが、何一つ体に不自由なく健康に暮らしていたなら、やはり自分の身体は自分のものなのであります。この教えを知らない人々は、俺の身体は自分のものだから好きなように使って何が悪いとなります。しかし一旦病気にでもなり、思い通りに指一本動かせなくなり、畳一枚が自分の世界となればこの体は自分のものと思っていたけれども、思い通りにならないということは、自分のものではないんだと気付くようになります。
おふでさきには
めへくのみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん (三―137)
とありますが、逆にこの身体が親神様からのかりものだと知ったら何が分かるのか?それは何でも自分の力で生きてきたと思っていたものが、そうではないということが分かってきます。自分の力で生きているのではなくて、生かされているということがわかります。この根本に気づくと、うそのようにすべてがありがたいと感じ、親神様の御守護に感謝せずにはいられなくなるのです。
では身体は神様から借りているとなると、いったい自分とは何なのだという疑問が出てくるのですが、この自分というのが心なのです。この自分の心については「心一つが我が理」とあるように、親神様からこの身体をお借りして生きていることを心底喜んで通るか、それとも不平・不満を言って通るかはめいめいの心の使い方一つになります。「たった一つの心より、どんな理も日々出る」と神様が仰られるように、喜び心も不平・不満の心も親神様はすべて受けとられます。良いも悪いもすべて受け取られるのです。そしてその心にふさわしい働きをして下さいます。不足を言えば不足の理がまわり、喜びの心を使えば喜びの理がまわるというように、この身体を順調に使わせて頂けるのも、故障させてしまうのもすべて心次第によって御守護が変わってきます。心一つが我がの理というように、親神様は陽気ぐらしをするために、心は自由に使えるよう許されていますが、それに反して人間は、自分の苦楽や利害にばかりとらわれて、親神様の思いに添わない心を遣いがちであります。この互いに立て合い救け合うこととはほど遠い親神様の思いに添わない心遣いを心のほこりとして、家などのほこりに例えて教えて下さいました。
おふでさきには、罪と言う字も罰という字も一切出てきません。罪や罰ではなく人間の自由に使える心遣いの間違いをほこりに例えて教えて下さっています。一般でいうほこりというものは、2~3日掃除をしなければ、すぐにうっすらと積もってきます。2カ月も3か月も放っておくとさっと掃除をして終わりというわけにはいかなくなります。これが2年、3年放っておくと大掃除程度では綺麗にならない位、汚れてしまうのです。20年~30年も掃除をしなかったら、もう想像がつかない位の汚れになってしまうのです。心のほこりも同様だと教えて下さっています。親神様は罪や罰だといってしまったら、もうどうしようもなくなるからそんな言葉は使わずに、ほこりという言葉を用いて、毎日掃除をしていればなんでもないものだと仰られているのです。逆にいうと毎日ほこりを払いなさいと言っているのであります。
御承知のように、心のほこりには、「をしい、ほしい、にくい、かわいい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」の八つがあり、そのほかに「うそとついしょこれきらい」(十二―113)と戒め下さっています。ついしょとは心にもない事を言う。おべんちゃらを言うということですが、をしいやほしいというほこりは物やお金などが主になり、にくい、かわいいというのは人が相手になり、ほこりが少し重くなってきます。うらみ、はらだちとなるとこれはにくいのさらに激しさが加わった手ごわいものになります。はらだちの次のよくは八つのほこりにすべてつながるほこりの総元締めと言われております。
みかぐらうたに「よくにきりないどろみづや」(10下り目―4)とあるように、泥水の上にどれだけ素晴らしい家を建ててもずぶずぶと埋まりすぐに家は倒れてしまいます。そしてこの総元締めの上にこうまんがあるのです。これが一番問題のほこりになります。この八つのほこりには該当しないというふうに思われている方が、一番こわいのです。これがまさにこうまんに繋がってくるのです。
例えば、山の一番高いところに、家が建つかといえば到底いえは建てられません。小さな小屋位なら建つかもしれませんが、そこに家を建てようとするなら、高い所を整地し低くすれば平らな所ができ、家が立つようになります。やはり低くなるのが大切なのです。低くなればなるほど土地が広くなり、大きな家が建つように、こうまんの心さえ捨てたなら教会はもちろん信者宅においても低い心で土地が広がりどんどん発展し、いろいろな徳も頂けるようになります。逆に考えるとどれだけ頑張っても、全然徳が頂けないなあという時は、心の状態が山の先のように高くなり何も建てられない、徳も頂けないというふうになっていますので、亀のように低くなると、くにさづちのみこと様の御守護を頂き、結果徳を頂くとい うつなぎの御守護が頂けるのです。
また、人によっては、よくという心がないとより幸せな人生が送れないだろうと思う人や、食欲、性欲、睡眠欲など生きるための基本的な欲まで、ほこりになるのはおかしいと思う方もおられます。しかし大事なことは自分中心の心遣いにより、他人に迷惑をかけたり不幸をもたらすような悪い欲を戒められているのでありまして、ほかのほこりも同様の考えになります。また、うそとついしょはおさしづにおいても、「嘘に追しょうは大ぼこりの台」(M31,5,9)と戒められ、最初は小さな心にもないことを言っていても、それが嘘となり、嘘が重なり引くに引けなくなり大きな問題に発展してしまうのです。又、嘘とついしょは正直の反対でもあるとも教えて下さっています。うそについては、おふでさきに
いままでハとのよなうそもきいていた もふこれからハうそハきかんで (十二111)
これからハうそをゆうたらそのものが うそになるのもこれがしよちか (十二―12)
月日にハうそとついしよこれきらい このさきなるわ月日しりぞく (十二―113)
とあります。又、教典には「一人のほこりは、累を他に及ぼして、世の中の平和を乱すことにもなるから」とあるように自分自身がほこりを積まないことも大切ですが、周りにもほこりを積ませない心がけが大切になります。しかしほこりを積まないように心がけても、人からほこりを掛けられることもありますがこのほこりに対抗するだとか立ち向かっていったならば、結局自らもほこりをかぶり積んでしまうことになるので注意することが肝心になります。神様のお言葉に「ほこりはよけて通れよ、ほこりにさかろうたら、自分も又ほこりをかぶらにゃならん程に、けっしてほこりにさからうやないで。」とも仰せられております。
身上などの病気や事情などの悩みなどは人間が知らず知らずのうちにほこりを積み、このままでは到底陽気ぐらしにはなってこない、ただひたすら苦しむばかりの生活になるということが親神様はわかっておられるので、危ない危険な道を歩いて行かないよう、心の入れ替え、運命の立て替えの為、胸の掃除をしてやろうとの深い親心の現われなのです。なんで自分ばかりこうなるのだといって、自分を責めたり、あの人のせいでこんなことになってしまったと他人を責めるのではなく、この親神様の教えを通して、胸の掃除をすることが大切になり、喜べる心、感謝の心を持って日々生活するには、かしもの、かりものの理を心に治めることが肝心になります。
大病をされた方は、病気になるとこの身体はまったく思い通りにならなくなり、自分のものではないとつくづく感じますが、病気をしなければわからないというのでは、病気になりたくない我々にとっては非常に困ることになります。病気にならずとも、この親神様より教えて下さった人間がどのようにつくられたかという元の理、又この体は神様よりお借りしているということさえ心底、胸に治まれば毎日が大変ありがたく結構になってくるのです。人間は人の陰口や、不平不満が大好きな生き物ですが、この不平・不満が心のほこりを引きおこす原因になるので、不平・不満をいかになくすかが、ほこりをつまない第一歩となります。不足を減らすにはどうしたらよいか。それは不足の話を聞いたとき、そうですかとまずは相手を受け入れ、この不足話をどう喜びの話しへと、感謝の話しへと変えていったらいいんだろうと、常に心の訓練をすることです。そうするとだんだんありがたいねえ、結構だねえと話を変えられるようになってきます。こうなりますと会話がだんだん明るい方へ明るい方へとなってきます。しかしこうなるには、自分がありがたい、結構だと心から思えてないとなかなか難しいのです。こういった心を使う努力をすることが教祖より日頃頂く御恩に対して、また一つ恩を返すことへと繋がってくるのです。本年一年もいよいよスタートしましたので、今年は一年まず、かしもの・かりものの理が心底治まるように努力し、心のほこり、胸のほこりを掃除する為におやさまが教えて下さった、あしきはらいのおつとめを真剣に何度も何度もつとめ、少しでも心を綺麗に保てるよう努力し、本年は来年から始まる教祖140年祭三年千日の準備期間となる一年にさせて頂きましょう。