大教会長様講話(立教184年2月号)

おやさまのひながたは、大きく分けると前半が欲を捨てる道、中盤から後半はおつとめをお教え下さる道というように2つに分けられます。今回の神殿講話は後半のおつとめにふれてみたいと思います。

まずは慶応2年に、小泉村の不動院の山伏たちが暴れ込んできたふしを契機に、「あしきはらひたすけたまへ てんりわうのみこと」と初めておつとめの歌と手振りを教えられました。そして翌年の慶応3年、おやさま御年70歳、神様となられて30年目に12下りを教え、翌年にはお屋敷ではお手ふりの稽古で大変賑わっていたそうです。その後明治3年にはよろづよ八首とちょとはなしを、そして3年もの歳月をかけて手振りと節付けを教えられました。

明治6年には飯降以蔵先生にかんろ台のひながた(模型)を作らせ、翌年の明治7年におやさまの兄である前川杏助さんに頼んで、かぐら面を作らせ前川宅へかぐら面のお迎えに行かれました。その時、おやさまは「見事にできました。これで陽気におつとめができます」と大変喜ばれ、初めて面をつけてお手ふりをされました。それから毎月26日にはかぐら面をつけ、かぐらづとめと12下りのてをどりがつとめられるようになり、毎日おつとめ後にはお手ふりの練習もするようになりました。さらにおやさまは、「いき」「にたもの」「てをどり」「かんろだいてをどり」のさづけの理を渡されました。ちなみにてをどりのさづけとは今、我々が頂いているおさづけになります。

続いて明治8年におやさまは、「明日は26日やから、屋敷の内を綺麗に掃除しておくように」と言われ、そして翌日に、おやさまをはじめ、数人の人々が足を止めたところが人間宿し込みの場所であると教えられ、ぢばを定められました。その後「あしきはらひたすけたまへ いちれつすますかんろだい」の歌と手振りを教えられ、この明治8年におつとめの歌と手振りが一通り揃ったのです。それからをびやや、はえでなどの「十一通りのつとめ」も教えられたのであります。明治10年からは、女鳴物を教えられ、明治13年からは初めて女鳴物を入れおつとめをするようになりました。

明治15年には、奈良警察

署長と警官によって2段あった、かんろ台の石を没収されますが、このことと立て合って、おつめの地歌のうち「いちれつすます」は「いちれつすまして」となり「あしきはらひ」は「あしきをはらうて」と現在の状態に改まったのです。

慶応2年から明治15年までの17年間の長い時間をかけ人々につとめを教え、おふでさきをしるし、つとめとさづけの理を明らかにし人々の心を仕込んでいかれました。おやさまのひながたの中盤から後半はまさにおつとめをお教え下さった道であります。

こうして長い年月をかけ明治15年にやっと、おやさまが念願をされておられたおつとめを中心にしたたすけ一条の道の全容が整えられました。

このおつとめを教え始められ

た頃というと、明治時代はじめの頃で当時の政府は国造りの上から神道を国の宗教にしたため、天理教は邪教となり徹底的に弾圧されるようになります。そしてついにおやさまは、十数度にわたり監獄へ拘束され御苦労することになるわけでありますが、拘束されればされるほど「ふしから芽が出る」と仰せられいそいそと御苦労をされにいかれます。ちなみに教典や教祖伝では御苦労という言葉が使われておりますが、この御苦労という言葉は、おやさまが苦労と思ったのではなく、我々人間の目から見て、おやさまは警察に拘引、留置されたことはあまりにも厳しい道の為、大変御苦労下されたところからこう呼んでいるのであります。しかし御苦労の回数が増えるたびに、お言葉通り、お道は一層広がり、信者は増える一方でありました。おやさまは反対するものもすべて、自分の子供であるとのお言葉通り、弾圧する警察官に対しても、みんな可愛い子供であるとの気持ちから、どんなことでもさらさら気にもせず、ひたすら陽気暮らしの世界にしたいという一点のみの為に、いそいそとこの道を通られました。

この警察の取り締まりが更に厳しくなるなか、明治11年には、秀司様を講元とする真明講が結ばれるのです。その後、国々のあちこちで講が結成されていき、そして講を中心におつとめ、おたすけを展開し不思議な御守護があいつぎ瞬く間に全国に広がり、この講が母体となり教会が設立されるようになるのです。この広がりに政府は、危機感を感じ更に警察の取り締まりが厳しくなり、ついにはお屋敷でおつとめが全くできなくなってしまいます。しかしおやさまは終始おつとめをつとめることを急き込まれました。そしてある時、おやさまがお風呂場でふとよろめかれ、まわりの人たちがこれはどういう理でしょうかと聞くと「これは世界の動くしるしや」と仰せになり、より一層おやさまがおつとめをするように急き込まれ、皆は談じ合いに談じ合いを重ねるさなか、「さあ今と言う、今というたら今、抜き差しならぬで。承知か。」と親神様がおやさまの身上に知らせてつとめを実行するようにせまり、「心定めの人衆定め」と仰せられ、何もない時に真実の心は定まるものではない。おやさまが警察に引っ張られるかもしれないと、こういう時こそ人の心は定まるので、早く決心をすれとつとめる者の精神を神一条に定めさせるように導かれました。

そして明治20年1月26日、おやさまは身を隠されるわけですが、身をお隠しになる時の、最後のおつとめは形の上からは決して十分ではありませんでしたが、おやさまは満足げでありました。それはつとめる人々の心の真実をお受け取り下さったということだと悟らせてもらうことができます。この時、親神様の約束通りあれだけ厳しかった、警察の取り締まりが不思議なことに全くありませんでした。このおつとめが終わるころ、皆の願いに反しておやさまは現身を隠され、当時そこに居合わせた人々はこの世の終わりのような思いになりましたが、「今からたすけするのやで」との本席様からのおさしづを聞き、人々は我に返り、おやさまが現身があるころにはやれなかった、おさづけの理をお渡し下されるようになり、先人の先生方は、おたすけ、布教に奮起奔走しさらにこの道は飛躍的に発展していったのです。まさにあちこちで、身上や事情の人がたすかっていくのは、全部御存命のおやさまの御働きなんだということがわかったのです。

振り返りますと全てはおつとめからはじまりました。それまでは参拝者といえば四合のコメを持って来る人など、それほどいませんでしたが、明治3年よりお道の教えは大和の国境を越えて近隣の国々へ大きく広がり、明治11年には初めて講ができて、爆発的にこの道が広がり始めるわけですが、おやさまがおつとめをお教え下さった頃から、道が広がりはじめ、おつとめの完成に近づけば近づくほどお道の教えは、驚くほど伸び広がっていったことがおわかり頂けるのです。

さて、おつとめに関してですが、以前ご本部のある先生が、座りづとめの、第一節あしきをはらうてたすけたまえを21回勤めるにあたり、1回勤めるごとにくにとこたちのみこと様より順に十全の神名とその働きを頭の中で念じてつとめ、その際必ず最後に、何々の守護の理をありがとうございます。とつけ最後の21回目に南無天理王命さま十全の御守護をありがとうございます。と念じてつとめさせて頂くとより一層つとめの理を頂けるとの話しを聞かせて頂きました。それから私もすぐに始めたのですが、口ではあしきをはらうて、頭の中では十全の守護と、最初は非常に難しかったのですが、実行していくうちに、今までのつとめ方はまるで小学生がおつとめをしているかのように、他のことばかり考えておつとめをしていたことに反省させられました。また、その先生は、おさづけについてもお話し下さり、ようぼくとはおさづけを取り次ぐ資格をおやさまよりお許し頂くだけで、おさづけはあくまでもおつとめの理をとりつぐのであるから朝夕のおつとめを十全の御守護を念じて勤めることが大切で、その毎日の積み重ねが、おさづけの効能の理を頂くことになるともお話し下さいました。

現在は信仰が縦、いわいる子や孫に伝わっていかないことが大きな問題になっていますが、極端なことを言えば、小学生になる前から、ただおつとめをさせるのではなく、おつとめの大切さを伝え日々朝夕のおつとめをしっかりつとめさせていれば、それだけで信仰は伝わっていくのではないでしょうか。ですからおやさまは、ひながたの中盤から後半にかけて、おつとめをつとめなさいと何度も何度も仕込んで下さったのではないでしょうか。又、おやさまが教えて下さったおつとめは万能であります。例えば病気になった場合はおさづけを取り次いで頂く、災難に遭わないようにするには逸話編178にある二の切り、いわいるおつくし・おつなぎをすればよいのですが、災難にあわないようにするおさづけはありませんし、悩みで苦しむ方におさづけを取り次ぐことはできないのです。そう考えますとおつとめは万能であります。まだおさづけをほどんどの人が頂いていない、おやさまの時代にも病人が治ったり、悩み苦しむことが即座になくなったりということがあちらこちらで起こっていたのです。昔の人達は何をしていたのか。おさづけを頂いてない方ばかりでしたのでおつとめをしていたのです。とにかくおつとめのみをしていたのです。そしておやさまはおつとめができない人には、おつとめができないものは、鳴り物の前に座り心で弾いてくれとお話し下さり、次におつとめが出来るようになってきたら、手がぐにゃぐにゃするのは心がぐにゃぐにゃしているからだよと少しでもおつとめを覚えるように教えて下さり、最後にはこのつとめは命の切り替えになるから一つの間違いもないようにと仰られました。真剣につとめれば命の切り替えもして下さるのがおつとめであります。そして現在我々は朝と晩におつとめをしております。あしきをはらうてたすけたまえの第一節で21回心のほこりを親神様に払って頂き、第二節のちょいとはなしで人間創造の元の理を頂き、第三節のたすけせきこむでかんろだいの理を頂いております。これをありがたいことに朝と晩の2回つとめさせて頂けるのです。日頃から朝と晩に真剣におつとめをつとめていれば様々な御守護を頂戴し、幼い頃より子供につとめさせていれば縦に信仰がつながっていくのです。

最後になりますが、いよいよ本年8月に迎える創立110周年記念祭に関しましても、先日世話人先生とのお話しの中で私自身気づかせて頂いたことがありました。それは記念祭は何の為にするのかということです。我々はいつの間にか、真柱様のお入込みの件や、当日までコロナの対応をどうするか、建物のどこを直そうかとそういった相談ばかりしておりましたが、肝心かなめの記念祭はおつとめをつとめる為にするということを忘れておりました。おつとめの相談はほとんどせずに、現在まできてしまったのです。真柱様のお入込みは重要事項であります。なんとかお入込み頂きたいのですが最重要事項はやはりおつとめをつとめるということです。本年1年は大教会にとって節目の年になりますので、まずはおつとめを第一に、月次祭のおつとめはもちろんのこと、毎日つとめる朝夕のおつとめを真剣につとめさせて頂く1年とさせて頂きたいのであります。。