世話人久保善平先生講話(立教181年11月12日)

 只今は、網走大教会の十一月の月次祭に参拝をさせていただきました。誠にありがとうございました。また、常日頃はそれぞれの持ち場立場の上でお道の御用にお励みを下さいまして、誠にご苦労様でございます。今日はお時間を頂きましたので、今私が思いますところをしばらくお話しさせて頂きたいと思います。上手にお聞き取りを頂ければありがたいと思いますので、よろしくお付き合いを頂戴したいと思います。

さて、今年の六月から真柱様が御身上となられまして、現在も療養をなされているところであります。昨年の七月には、かんろだいが倒されるというふしがおこりました。二年続いてお道の芯の上に大きなふしをお見せ頂きました。このことにつきまして私が考えておりますところ、思いますところをお話しさせて頂きたいと思います。以前にお話したとこと重なるところも出てまいるかと思います。自分勝手な思案の話ですので、上手に聞いて頂けたら嬉しく思います。

かんろだいが倒れるというふしをお見せ頂いたとき、芯が倒れるということはどういうことなのか、立っているものが倒れるということはどういうことなのかということを私は考えてみたのであります。その時に思い浮かびましたのは、立っているものに支えが無かったから倒れたのではないか、ということでした。立っているものが倒れそうになったとき、その横に支えとなるものがあるならば、倒れることはないように思ったのであります。しかも、どこか一方だけではなく、四方八方どの方向に倒れそうになっても支えになるものが周りにあるならば、それも芯に引っ付いて、密集してそうした支えがあるならば、立っているものはより頑丈に立ち続けることができるはずじゃないのかな、というように思いました。そうしたものが十分でなかったから倒れてしまったのではないか。しかし一体、かんろだいに支えがあるとか、支えが無いとかいうことはどういうことなのかと考えてみたのであります。そして思いましたのは、その支えとなるものは私達一人一人、このお道を信仰するお互いの信仰の姿勢ではないかなということであります。みんな一生懸命つとめているつもりだと思うんです。誰も適当に信仰してるという人はいないと思いますが、それでもどこか今一つ、親神様の思召、教祖の思召に添い切れていない。もう一歩、親神様、教祖の許に近づき切れていないお互いの心、姿というものがあるのではないか。真柱様の仰ることに添い切るように努力をしよう、お心に応えられるように頑張ろう、というように思い、つとめているつもりでも、どこか添い切ることができていないお互いだったということではないかなと思いました。

今も申しましたように、皆一生懸命つとめているのであります。しかしながら、つい長い間信仰を続けている上での様々な習慣などもあり、「私のやれることはここまでだ。あとはほかの誰か、例えば教会の人がやることだ。上級の人がやることだ。これは部内の人がやることだ。」などというように、自分のやることとほかの人のやることに勝手に線を引いているようなことがないでありましょうか。また、「毎日毎日私は神様の御用はさせてもらっている。もうこれ以上することは、とてもじゃないけど難しい。」というように、これまた誰に言われるでもなく自分で線を引いてしまって、親神様が、教祖が、「もっと近づいてきてくれていいんだよ。」、「もうちょっと頑張ることができるんじゃないかな。」というように仰っている声を自分で耳に栓をして、聞き逃してしまっていることはないだろうか、ということを思ったのであります。親神様、教祖と私たちの間に隙間を作ることのないように、私たちから近づいていくという信仰の姿勢が大事じゃないかなと思いました。そのために、今の自分自身の御用のつとめ方、自分のこの道の通り方が果たして十分なのかどうかということをもう一度振り返り、今よりも少しでも、一歩でも二歩でも半歩でも、自分から神様に近づく努力、自分から思召に応える努力を積み重ねていくということが大切ではないかと考えていたのであります。そうした折、今年の本部の春の大祭で、真柱様がかんろだいの事情についてお話を下さいました。その中にこういう一節がありました。「各段をつなぐほぞも破損し、据え替えまでの仮復旧もできなかった状態から、お互いの心のつなぎが欠けているとのお知らせのように思えたのであります。一手一つになれとのお仕込みだと感じたのであります。」
皆さん方もご承知の通り、かんろだいは、ほぞでつながれて立ち上がっております。ところが今回は、倒れた時にそのつなぎの部分のほぞが壊れてしまったところもあり、倒れたものを仮に積み上げるということができない状態でした。こうしたことから、お互いの繋ぎ、お互いの心の繋ぎが欠けているんじゃないかというお知らせではないか、というように教えて下さったのであります。これを聞かせて頂いて、私はハッと思いました。自分自身が神様に近づいていく努力をすることが大事だとは思っておりましたけれども、「あっそうか。単に一人一人が神様に近づく努力をするだけでは足りないんだな。それでは、一人一人が頑張っても、お互いの向いている方向が、あっち向いたりこっち向いたり、バラバラで一つ心になっていなければ、一緒になって神様のところに寄っていく、近づいていくということはできないんだな。一人一人の努力というものは、もちろん大事だけれど、周りの人と心を合わせ、力を合わせ、お互いがしっかり連携をとって、いわゆる一手一つになるという努力を忘れちゃいかんのだな。今それが足りないということを、教えて下さってるんじゃないかな。」というように、「あっ、もうちょっと考えなあかんかった。」ということを思ったのであります。
ところがそうした中で、今度は六月に真柱様の御身上というふしを見せて頂いたのであります。二年続いての大きなふしを見せて頂き、改めて何をどう考えたらいいのかということを思案したのであります。その時に私はふとこんな話を思い出しました。それは、初代真柱様が明治二十八年に、おぢばから当時の南海分教会にお出かけになっているときに御身上になられたという話であります。たまたま、今年の春頃に、道友社から出ております「おさしづを拝す」という本の中巻を読んでいたのですけれども、そこにその話が載っていたのであります。それがふと頭に浮かび、今回の事と重なったのであります。
お出かけ先で御身上になられた初代真柱様がおぢばにお戻りになられてから、お伺いなされた明治二十八年五月十日のおさしづにこういう一節があります。
「ならん事情存命中の事情なら、一人をやと見て、ほんに頼り治めたる事情。又一つ代かわりて事情と言えば、さしづ一条で運び来たる。これまで何ぼも幾重のさしづもしてある中に、そのまゝの事情もある。よう聞き分け。」

教祖が現身を持ってお働き下されている頃であれば、存命中の事情ならというのはそういう意味だと思うんです。難しい事情が起これば、皆教祖の許へ行き、教祖を頼りに事を治めて来たであろうが、現身をお隠しになられてから後は、おさしづを頂いて、それを台に治めるようにことを運んできたつもりである。しかしながら、これまでいろいろおさしづを出してきたけれども、人間が、「なるほど」と思うて使うものもあれば、頂いたら頂きっぱなしで、そのまま放ってあるものもあるんじゃないか、そこをよく聞き分けてくれ。こういうような意味ではないかと思いました。当時、人々の身上や事情に際して、本席様を通しておさしづを伺いながら、身上事情の解決のために、その通りに用いるものもあれば、せっかくおさしづを頂戴しながら、さしづ通りにことを運ばず、そのままほったらかしにしてあるものもあった、ということでありましょう。おさしづは本席様のお口を通して出されます親神様のお言葉ですから、本来教祖が仰るお言葉と同じ意味のはずであります。しかしながら、人間の勝手な思案から、ある意味都合のいいようにおさしづを用いていたことがあったのかもわかりません。そうであるなら、それではいけないんだということを改めてお諭し下さったお話だと思いました。こうしたことは、度々おさしづをくださっているように思います。明治三十一年三月二十七日のおさしづですが、
「さしづありて、さしづ丸めて了うような事なら、さしづは要らんもの。好きさしづだけこうと言うと用い、ならんさしづはそのまゝという。それではさしづ取って理と言うか。」
というお言葉もあります。これも同じような意味ではないかと私は思っているのでありますが、自分の都合で、自分の勝手な思案から、せっかく教えて頂いている御教えを使い分けてしまう。「これは教え通りにしよう。これはほったらかしにしとこう。」というように取捨選択してしまうのは、もしかしたら私たち人間の本来持ってる癖性分なのかもしれません。神様から教えて頂いたことをそのまま何でも信じて実行するというのは、なかなか難しいというのも、これは正直なところかもしれません。でもやっぱりそれではいけないんだと、親神様は何度も同じような意味のことをお仕込み下されているように思うのです。せっかく神様が教えて下さったことを、素直に信じて実行するということが何より大事なんだということを、繰り返して当時の先生方にお仕込み下さった。それがこうしたおさしづではないかと思いました。

そうしたことを今の私達も、単なる昔の話として考えるのではなく、我がこととして考えていかねばならんように感じたのであります。さらに、この初代真柱様のご身上に関するおさしづには、一手一つということについてもお教え下さっています。
明治二十八年五月十九日のおさしづですが、
「人間という、元々一つの理より始めたる。兄弟なら兄弟という意味が無くばならん。なれど、中に兄弟心が合わん者もある。皆それく心より合わせてくれ。聞いたる者より合わせてやれ」という一節があります。人間というものは、元々親神様の思召によって創められたものであり、親神様の下に皆兄弟なんだ。兄弟なら兄弟としての繋がりがなければならないよ。中には兄弟といっても心が合わないものもいるであろう。でも、そういう場合でもお互いの心を合わせる努力をしてやってくれ。特に先に話を聞き分けた者から合わせてやるんだ。そういう努力をして、しっかり合わせる努力、一つになる努力をしてもらいたい。こういう意味だと思いました。

同じこの道を通っていながら、人間のいろんな勝手な思いから、「自分は自分、人は人。それぞれの信仰の仕方がある。」というように、心を合わさない姿になってしまうのではなく、親神様の下の兄弟として、談じ合いながら、諭し合いながら通ってもらいたいんだという意味ではないでありましょうか。この道を通るお互いが、親神様、教祖からお教えいただくことを素直に信じて実行する。そして、それぞれがそれぞれの思いでバラバラに動くのではなく、一手一つになって歩んでいくことが大切だ、ということを初代真柱様の御身上という節を通して、教えて下さったのではないかと思ったのであります。

三代真柱様は、著書「みちしるべ」の中で、この時のふしについて次のように記して下さっています。

「教祖がお姿をお隠しになり存命の守護をお働き下されるようになってからは、おさしづを台にいろいろ導いて頂いたのでありますが、このさしづを聞いた人々が、教祖直々のお言葉と同様に受け取っているのかどうか、という点。又、せっかくさしづを聞いても銘々が勝手な理を加えて解釈してはいないかという点。又、教祖が御身をお隠しになったからこそ、みんなの一手一つの心の和というものが重要であるという点。等々、神一条の理を立てて通ることの大切さを、懇切丁寧にお諭しになっているのであります。」

これを読みまして、まさに今の私たちに教えてもらっていることではないかな、お互いが我がこととして考えなければならない話ではないかな、と思ったのであります。そして、そんなことを思いながら、昨年の秋の大祭、そして今年の春の大祭でお話しくださった真柱様のお言葉を改めて読ませて頂いたのであります。昨年の秋の大祭においては、翌月、昨年の十一月に五十年祭がつとめられました二代真柱様のご功績について触れられたうえで、次にのようにお話を下されました。
「二代真柱様の偉大な業績を称え、遺徳をお偲びするだけでなく、何よりもその公刊を心にかけられ、自らも深く究められたおふでさきをはじめとする原典に一層親しみ、さらには教祖にお教えいただいた通りの信仰を目指す復元の精神を忘れず、教典を日々の生活に生かし、教えに即した通り方、教会のあり方を心がけるとともに、教祖伝をひながたをたどる拠り所として歩むことをお誓いしたいと思います。」

この道は、立教以来、明治、大正、昭和、平成と、時が進んでいく中において、折々の時代による影響も受けながら、それこそ昭和二十年に大きな戦争が終わるまでは、なかなか教祖が教えて下さった教え通りに信仰を進めるということが叶わなかったのであります。そうした中初代真柱様は、教会本部の設置や別席制度の確立、学校の設立や大正普請など、この道の基礎や足元をお固め下され、二代真柱様は教祖にお教え頂いた通りの信仰を目指して、おつとめの復元や原典の公刊をはじめ、現在も読ませていただいております、天理教教典や稿本天理教教祖伝の編纂、昭和普請など、後に続く私たちがこの道を歩むための道筋を整備して下さったのであります。二代真柱様が道を歩まれれる姿勢は、二代真柱様の著書や談話をまとめた「陽気ぐらし」という本の序文に三代真柱様がこう記して下さっているのであります。
「父は、自分の道すがらで何事かを為す時、判断の拠にしたものは、おふでさきであり、みかぐらうたであり、おさしづであった。加えて教祖のひながたの道に身の処し方を求めたことは云う迄もない」

教祖が、陽気ぐらしへのたすけ一条の道を通るために教えて下さった、遺して下さった、みかぐらうた、おふでさき、おさしづ。この原典に親しむことによって教えを求め、自らが歩む手本はどこまでも教祖がお通り下されたひながたの道、これが二代真柱様の道の通り方だったんだという意味だと私は解したのであります。教祖からお教え頂いた通りにこの道を歩んでいくということ。これは、教祖と共に時を過ごされ、道の芯としてお通り下さった初代真柱様、以降、二代真柱様、三代真柱様、現真柱様と、代々変わることなく揺らぐことなく目指して下さっていることだと、僭越ながら思わせて頂いているのであります。

今の私達は、教祖から直にお話を聞くとことが出来ないのであります。その私たちがこの道を求めるには、教祖が教えて下さった、みかぐらうた、おふでさき、おさしづ、この原典や、それらを基に記された天理教教典、ひながたの道をまとめてくださった稿本天理教教祖伝や逸話編。こうした書物にしっかりと親しむことが一番の道だと思います。しかしながら、こうした本はなかなか読むのが難しいところもあるのでしょうか、難しいから、あるいは若い時に一度読んだ、習ったからもういいわ、と思ってしまうことがあるような気がします。その結果、ほかのいろんなお道の本や講話など、自分がこれのほうが読みやすい、理解しやすい、興味を引きやすい、というものばかりに走ってしまっては、また、あるいはお道の教えはだいたい頭に入っているからと思い込み、求めることや学ぶことをついおろそかにして、それよりも自分が分かっていることをどう伝えるか、いわゆる方法論ばっかりに走ってしまっては、なにか大切な点を見落としてしまっている場合もあるように思うのであります。

また私は、それと同じようなことを、ひながたの道についても思うことがあるのであります。元々ひながたという言葉には、手本とか見本とかいう意味があります。教祖のお通り下された、ひながたの道というものは、私たち人間がお教え下さる陽気ぐらしに向かって歩みを進めるためのお手本の道、見本の道だと思います。だから、陽気ぐらしに向かって歩みを進めるには、何よりこの道を正直に素直にたどる努力をすることが本来一番のはずなのであります。しかしながら私たちはつい、教祖のお通り下さった道は、教祖だから通ることができた道で、私たちがそれをまねすることは難しい。あるいは時代も違うから難しい、というように思ってしまうことがあるのではないでしょうか。それよりも、私たちの先輩が通ってくださった話のほうが、身近に感じることができるし、なんだか真似もできるような気もするので、先人たちの通った話、通った道を手本にしていこう、と思ってしまうことがあるのではないでしょうか。もちろん、先人先輩方が教祖の教えを実行するために、教祖の道を何とかたどろうと歩まれた道は、大変尊い道であり、後に続く私達が大いに参考にさせてもらわねばならない大切な道だとは思います。しかしながら、やはり本当に手本にしなければならないのは、本当に見本にしなければならないのは、教祖の歩まれたひながたの道である。ここをしっかりとわきまえているということが大事なことであり、そこを混同してしまいますと、これまた大切なことを見逃してしまうことになりかねない気がするのであります。

お互いがこの道を歩む上で、原典に親しみひながたをたどることが本当に大切なんだということを昨年の秋、真柱様は教えて下さったように思ったのであります。

次に本年の春の大祭ではこうお話を下さいました。
「一手一つとは、同じ一つの目標に向かって、それぞれがその持ち場の役割を果たすとともに、相互に連携して活動することであります。(中略)しかし、それぞれ与えられた役目について一生懸命に働いていても、ともすれば、目の前のことや自分たちのことだけにとらわれて、お互いがつながりを欠き、一手一つになれていないのではないか、それが今回の事情(かんろだいの事情)をお見せいただく背景にあるように思うのであります。」
陽気ぐらし世界の実現に向かって歩みを進めるには、道を通る一人一人が自分の持ち場立場での役割をしっかりときっちりと果たすととともに、お互いが心を合わせ連携をして活動を進めることが大事だということでありましょう。いくらそれぞれが自分に与えられた役割を懸命につとめても、一人一人の気配りが十分でなく、心が通わず一手一つになれていないというようでは前に進むことが難しいんだ。その一手一つを欠く姿が今の私たちの姿ではないかと教えて下さったように思うのであります。

私達道につながるお互いは、それぞれお与え頂く持ち場立場で皆一生懸命に信仰をさせてもらっているつもりであります。しかしながら、この教えを教え通りに通るにあたって、ちょっとした心の配り方、ちょっとした気の使い方、ちょっとした連携の取り方が足りない、届かない。そんなお互いになってしまっているのかもしれません。一人一人の間でのそうしたことの足りなさは、ちょっとした少しのことでありましても、それが家族単位、教会単位、また大教会単位、お道全体というようになってまいりますと、そのちょっとした足りなさが積もり重なってどんどん大きな足りなさになってしまっているのかもわかりません。一人一人が今より少しでも、気配り、心配り、一手一つになるということを心掛けて、心を配る、気を配るということに気を向ければ、力を注げば、全体としてはグッと一つにまとまっていくことができるのではないか、と思ったのであります。

昨年の秋の大祭、今年の春の大祭、真柱様がお話し下さったお話には、原典に親しみ御教え通りに通ることを目指したい、ということと、陽気ぐらしへの道を歩むには一手一つに通ることが何より欠かせない、ということが大きなポイントととして含まれていたように思います。そしてその前に触れさせてもらいました初代真柱様の御身上に関するおさしづでは、勝手な解釈をせずに、頂いたおさしづ通りに通ることが大事なんだ。また、一手一つで神一条の心で通ることが大事なんだ、ということをお諭し下さっていたように思います。
私は何か二つの事に共通したものを感じたのであります。三代真柱様は、先ほども申しました「道しるべ」という本の中で、初代真柱様御身上に関してこのように記して下さっています。「道が公認されて初めての緊張した年祭であった五年祭当時と比べてみると、人々の気持の上に慣れからくる気のゆるみが生じたのでしょうか。教祖をお慕い申し上げてつとめるという信条は、少しの変わりもなかったでしょうが、惰性が先に立って、勝手の理に流れ易くなっていたようです。」
明治二十四年が教祖の五年祭であります。明治二十八年はそれから少し年がたっています。そうした時期のことについてこう述べ下さったのであります。今の私たちにも似たようなことがあるのではないでしょうか。教祖百三十年祭の直後というよりも、それこそ昔に比べて本当に自由に信仰ができる環境の中で何十年も道を通る中で、今の自分なりには一生懸命通っているつもりでいても、自然にいろんなところに勝手や緩みが生じてしまい、神様の目から見れば「このままではいかんぞ。」ということを、教えてもらわなければならないことになってしまっているのではないだろうか。そのことを、二年続けて道の芯にしるしをお見せ下さることで、お知らせ下さっているのではないかと感じたのであります。では、今この時、どうした心で、どうした態度で通らせて頂いたらいいのかなということを次に考えてみたのであります。
教祖がたびたび警察署や監獄所にご苦労下さっていた頃、当時の人たちは何とか教祖にご苦労をかけずに済む道はないかと色々と知恵をしぼり、とにかく教会の公認、お道が認められるということさえ出来れば、問題は解決するのではないかと、いわゆる教会公認運動のさきがけのようなことを始めようとなされた時期があったのであります。しかし、どんなにその運動を進めようとしても許可がでることはなかったのであります。その頃に教祖は「しんは細いものである。真実の肉を巻けバふとくなるで。」というお話を下さったと聞かせてもらうのであります。これは初代真柱様に真実の肉を巻かなきゃいかんのだという意味であり、親神様の思召のままに真柱様に理の肉を巻いていくということが、神一条の道を通る上で大切なことであると教え下さっていると思うのであります。当時の初代真柱様は年齢も大変お若く、もちろん教祖もまだ御姿をもって御働き下されているのでありますから、周りの人もつい道の芯として立て切ることが出来なかったということがあったのかもしれません。もちろん今の真柱様の年齢からみれば、そうした若いから云々ということはないのでありましょうが、道がその頃よりも随分大きくなり、時代も流れ、当時とは全然違う状況になっている中において、お道の活動も大変多岐にわたるようになり、いろんな情報が目から耳から入るようになるにつれ、以前と同じように信仰するお互いが真柱様の思召に沿って通っているつもりであっても、何か沿いきることが出来なくなっている。どこかに自分勝手の理、自分勝手の思案が入って、芯に肉を巻ききれていないお互いになってしまっているのではないでしょうか。私はそう反省をしたのであります。明治二十四年十一月一日のおさしづに、「しんばしらくという。紋型も無い処からしんばしらと、話一条で固め来たる。(中略)成る成らん、しっかりとしんばしら直きくの話聞かんにゃならんで。」とお示し下されております。真柱の理は親神様が定めて下さっているのであります。この道はどこまでもその真柱様を芯として、道につながるお互いがその御心に心を揃えて、力を合わせてお望み下さる陽気ぐらしに向かって歩みを進めていってこそ成り立っていくんだということを教えて下さっているように思えてなりません。
この教えを自由に説くことが出来なかった時代、教え通りに物事を進めることが許されなかった時代を私は知りません。原典も自由に手にとることが出来れば、誰に憚ることなくおつとめをつとめることができる。私はそんな結構な時代しか正直知らないのであります。でもそれだけに、かえって慣れがでて自由につとめることが出来る、自由に話を説くことが出来る、そのことの有難さを口ではありがたいことだ、結構な時代だと言いながら、たぶん心の底からはわかっていないと思います。だからこそ、何かが緩んでいても自分の思案が勝手に流れがちになっていても、気づかなくなっていることがあるのかもしれません。
今回こうした大きなふしを見せて頂いたことを機会に、今一度、常日頃の自らの通り方、思案の在り方を見つめなおし、私自身は特に次の四つの点について心を引き締め直して通らせてもらいたいと考えたのであります。
まず一つ目は、月日のやしろである教祖が教えて下さった教えこそ、私たちが信じ実行する教えであります。この教えが今の自分の心には、まだまだしっかり治まっていないということを改めて自覚して、原典、教典、教祖伝に今まで以上に親しみ、まず自らが道を求める姿勢で通るということ。
二つ目は、親神様、教祖、ぢばはその理一つである、ということを忘れることなく神一条はもちろん、ぢば一条の心を忘れずに通るということ。
三つ目は、この道を歩む中で、最初は道のためだと思って取り組み始めたことが、いつの間にか自分勝手の考えが入り込み、自分のための取り組みとなってしまっていることはないだろうかと、気をつけながら通らせてもらうということ。
そして四つ目は、今私たちの先頭に立って下さって道を通って導いて下さる真柱様の思召を常に自分の念頭において、そこに沿い切る通り方を常に心がけていくということ。
こうしたことをしっかり心において通らせてもらいたいと思っているところであります。
親神様は私たちの親であります。親であるからこそ子供である私たちを育て導くために、様々なことをふしとしてお見せ下さるのであります。しかし、親であるなら、子供に乗り越えることができない宿題は決して出されないと思います。子供があれこれ一生懸命考えて必死に工夫したら、乗り越えられる宿題を出して下さると思うのであります。難しい宿題をこなせば、それだけその子供に力がつくということだと思います。昨年、今年とお見せ下さった大きなふしは、大変厳しいものである。そう思いますけれども、そこには「わかるか。頑張って乗り越えてこい。お前たちならきっと乗り越えられる。」というお言葉が隠れているように思うんです。「しっかり頑張れ。これで育つんだ。」と叱咤激励して下さっているように感じられてなりません。道の芯にお見せ頂いたことは、道を通るすべての人にお見せ下さった、そうしたふしと考えていいのではないかと思うのであります。お互いの持ち場立場、道の上での日常の勤め方は異なっているところがあるかもしれませんが、陽気ぐらしに向かって道を歩んでいることには何ら変わりはありません。教祖のお教え頂く道を共に歩んでいく兄弟姉妹として、道を求め、親神様、教祖の思いをしっかりと求めて勇んで通らせて頂きたい。そのことを最後にお願い申しまして私の本日の勤めとさせて頂きたい思います。
ご清聴下さいまして誠にありがとうございました。

世話人久保善平先生講話(立教181年11月12日)” に対して1件のコメントがあります。

  1. 平石昌由 より:

    4年前の6月27日おぢばで還暦を迎えさせていただきました。
    6月26日おぢばに帰らせていただき、神殿講話が終わり、参拝者が少なくなってからあらためて三殿を回らせていただいた後、道友社書籍販売所でかんろだい物語を購入して、夕食まで時間があったので読ませていただきました。
    会長様のおはからいで、愛静大教会の澤田姉妹と還暦祝いを兼ねた夕食をご馳走になりました。
    食事をしながら、澤田姉妹の長女にかんろだいについて学びたい想いで調べて欲しい胸を伝えましたが、なかなか会う機会もなく実現していません。
    以前、おぢばに帰らせていただいた時、若い会長さんや後継者の方と飲みながら、うまく言えないけど、お道に危機感を感じる気がすると言いました。
    かんろだいが気になって丸1ヶ月後の節を見せられ、丸1年後に真柱のご見上を聞かされました。
    教祖140年祭に向けての折り返し地点を歩ませていただいております。
    自分にできる事で、少しでもお道に貢献できるように、5年先10年先をみすえながら歩んで行きたいと、あらためて思わせていただいたしだいです。
    ありがとうございました🙇

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